ねえ、どんな靴をはいてる?

(宮舘王国でひっそり暮らしたい)

青色の光がいちばんよく海の水の中を進んでいくのです。

 

透明なはずの水を描きたいとき青で塗るのはなんでだったか何度も忘れ何度も読み返す。

 

学研サイエンスキッズ「科学なぜなぜ110番」質問と答えのページ「海はどうして青いの」のページ。

「太陽の光は白く見えますが、本当はにじの七色『赤・だいだい・黄・緑・青・藍(あい)・紫(むらさき)』がまざりあったものです。その七色のうち、青色の光がいちばんよく海の水の中を進んでいくのです。ほかの色の光は海の水に吸収(きゅうしゅう)されてしまいます。つまり、青色の光だけが、海の水にすい取られないで、いろいろな方向にちらばるために、その光が目に入ってきて海は青く見える、というわけなのです」。

 

なんか渡辺くんのよく通る声が何にもすい取られないでどこへでも伸びていくようすみたいだ。My FriendをDVDでみてたら、宮舘くんがいる辺りより奥なんてほんとうに夜空が広がってるんじゃないかと思う。

 

 

 

 

 

小さいときから赤やピンクが好きじゃなくて、赤を着るのは目立ちすぎるから嫌、ピンクは幼稚園の人気者の女の子しか着ちゃだめな気がして自分が着るもんじゃない、と思っている子のまま大人になった。

祖母に好きな色を聞いたらたまたま机に置いてた折り紙で祖母が「こんな薄い紫が好き」と答えたことがあって、その後も何度か同じ質問をしても手元に折り紙がなくても祖母は「薄い紫」を答えに選んでいた。(ちなみに祖父はその時その時で一貫せず違う色を答えるのでそれはそれで好きだった。適当だったのか作為的だったのかもう確かめようがない。)

ただの紫じゃなくて「薄い」と付いていたのが印象的だったんだろうな。いろんな色はあるけど、知ってる色の数よりも、知ってる色の名前の数のほうが少なかった。名詞に形容詞を付けて使えるようになると世界が広がる、と外国語だか心理だか何だかの話で聞いた。そういう瞬間が「薄い紫」にあった。

 

 

 

 

それからずーっと紫や青ばかり選ぶ子になった。卒園式はみんな何もかも紺か黒で安心した。しかしどうも入学式はそうじゃないらしい。紺や黒のがあるのにと横目に見ながら、どうもここは赤とピンクの2択らしいぞと読んで赤を選んだランドセル売り場、20年以上経とうとしてるのになんとなく記憶がある。赤か赤かピンク、みたいな最終決定の選択において既にどうでもよくなったわたしを案じてか、少し後ろで静かにしていた祖父が「ミッキーマウスが付いとるのがええ」と割り入ってきたから確かそれに乗っかっておいた。ミッキーマウスを特別に好んでいたわけじゃないけど、もうほんとにどうでもよすぎて適当に選ぶこともままならなかった。誰にも否定できないミッキーマウスの刻印が、指摘した祖父の一声が、すごくありがたかった。
更にありがたいことに服も普段から赤やピンクを厭うので母が水色を用意してくれた。女児がピンク一辺倒になるあの時期というか段階というかは一体何なんだろう。悪くは思わないけど、そこに同調していないのが文字通り目に見えてわかる自分は、なんか違うなあ、と思えた。それを幾度となくさりげなく救ってくれるのが水色。幼稚園でも当時セーラームーンが流行っていたけど、みんながなりたいセーラームーンじゃなくてマーキュリー役を充てられて(今思えば数合わせかも)なんとなく遊びに入っていた。それでもセーラームーンにも水色でしかもショートカットのマーキュリーがいたのは、必ずしも髪の毛が長いこととか赤やピンクを着ることだけが正義じゃないよ、と言ってくれてるようなものだった。今プリキュアも世相を反映して変わっているらしい。

それからもずっと水色が好きで紫と青も緑も黄色も好きで大人になって、持ち物や洋服が自分で選べることが嬉しくて嬉しくて。パーソナルカラー診断に行ったら「ブルベ夏、でも冬もいける、要はめちゃめちゃブルベで黄みつよいのは全然だめ」みたいなことを言われて納得した。今も水色を着て書いてるし、さっき干した洗濯物にも、くすんだ水色のブラウス、グレーのチェックに水色のラインが細く混じったテーパードパンツ、水色のハンカチ。かつて救われた色にずっと救われていたいのだなと思う。でもそれぐらいいいでしょう、自分の機嫌は自分でとる。

 

 

 

多様性の時代が来るらしい。好きな色着て生きてればいいと思う。

何より、赤を着た男もピンクを着た男もめっちゃかっこいいよ。だてさくって言うんだけど。

 

赤を推しながら、水色に救われて生きている。